interview | アトムグループ
現在、『ATOM VENUS』の店長として活躍中のベベさん。「べべ」という名前は子どもの頃からのあだ名が由来だそうです。インフルエンサーとして高い知名度を誇る大夢プロデューサーを支え、内勤組織を作り上げた「九路。わっさん」さんのもとでの修行時代に学んだことや、現在の仕事や熱いビジョンなどを語ってもらいました。
目指していた配信者から、アトムの内勤に進路変更へ。
──アトムグループで内勤を始めたきっかけを教えてください。
大学を中退し、配信者として動画やSNSをやっていました。配信を一緒にやっていたメンバーが「活動を支えるためにお金がいる」と、アトムでホストを始めたのです。その仲間から「内勤が空いてるから、一緒にどう?」と誘われたのが、アトムと出会ったきっかけですね。昼間は配信業務に集中したかったので、「夜勤だったから」という理由で働き始めました。現在、自分で配信はしていないのですが、そのときに培った編集スキルなどが『ひろむん代表』の動画制作などで役立っているのは、嬉しいですね。また、受験までは勉強も頑張ってきたので、学んだおかげで培うことができた知識なども、武器になっていると思います。
──本格的に「内勤に専念しよう」と思われた理由は?
入社して最初のころはあくまでも、「配信がメインで、アトムは活動や生活資金を稼ぐためのアルバイトだ」という位置づけでした。その頃ちょうどアトムグループ内で「ホストが自分の業務に専念するため、内勤を強化しよう」という大きな出来事がありました。店内でも、大夢さんからわっさんに対して、「組織強化のため、ホストから内勤に転身して欲しい」というオファーがあり、そのタイミングでわっさんから「ベベも本格的にサポートしてくれないか?」というお誘いがあったのです。「もっと店舗を大きくしたい。そのためにベベが必要だ」とグッと距離をつめつつ、口説いてもらった記憶があります。僕もアトムが急激に伸びているのを感じていましたし、わっさんからの学びも自分自身の成長につながっているという確信があったので、配信活動を終了して内勤に集中しようと決心しました。
──内勤になってから、最初の頃の苦労や嬉しかったことを教えてください。
最初、知識もノウハウもなかったですし、とにかく必死でわっさんに食らいついて、がむしゃらに頑張りました。今では良い思い出ですが、当時は大変に感じたことも多かったですよ。その後、サブチーフに昇進するのですが僕がなるまで「サブチーフ」という役職はなかったんです。前例のないポジションに抜擢されたことで「自分の頑張りが認められた」と、嬉しい気持ちになりましたね。

辛いと感じたことも、今は良い思い出に。目指すべき背中が常に存在した修行時代。
──サブチーフから、店長になるまでに努力されていたことはどんなことでしょうか?
僕が入社したころはプレイヤーの発言権や権限が大き過ぎて、内勤とのパワーバランスがとれていないという課題がありました。なので、まずは組織改革からのスタートでしたね。といっても一足飛びに組織は変わらないので、内勤は凡事を徹底してプレイヤーの信頼を得たり、チーム制にして積極的に交流したりすることで関係性を育んでいきました。
サブチーフ時代に大変さとやりがいを感じたのは、大夢さんとわっさんの願いとして「アトム内で絶対店舗売上1位にならなければならない」という最重要タスクを目指していたときのことです。ある年の表彰式で“7部門を制覇”を成し遂げたにもかかわらず、店舗売上だけは勝てず悔しい思いをしました。それで次の年、大きなプレッシャーと戦いながらも奮闘して全店舗売上1位を獲得したのです。苦労とやりがいにあふれていたサブチーフ時代の話をすると「あのときのベベは必死な顔つきだった」と言われますが、今は良い思い出になっています(笑)。
──わっさんから学んだ中で、記憶に残っているエピソードはありますか?
「わっさんに、食らいついた」と先述しましたが、実は結構スパルタ方式の厳しいご指導もあったので、辛いと感じたことは多かったですよ(笑)。それでもついていったのは、目指すべき背中を見せてくれていたわっさんの存在でしたね。記憶に残っているエピソードとしては、最初わっさんに追いつきたいがために同じような動きをしていたのですが、それがみんなから「マリオネットのようだ」と思われてしまって、悩んだ時期がありました。そのとき「自分らしさを打ち出して、ベベのリーダー像を目指そう」とアドバイスを受け、そこからスランプを抜け出すことができ、信頼を得ることができました。
──組織マネジメントで、どのようなことを意識されていますか?
強く怒るようなことはしないですが、優しく的確にしっかりと「そのメンバーの成長につながる」ような伝え方を意識しています。「具体的にどんなことにつまづき、悩みを抱えているのか」を分析し、一律的な言い方ではなく各々に寄り添った言葉づかいで伝える努力をしていますね。僕から直接話すよりも、椿喜代表から伝えた方が良い場合もあるので、そのときは任せています。椿喜代表はポジティブでサバサバしたタイプですが、僕は逆にリスクヘッジ型で感傷的なタイプ。それぞれの持ち味を活かして、メリハリを付けてマネジメントをすることができています。あとは、上の人間が“仕事を楽しむこと”ですね。ワクワクしていたら、メンバーたちにも伝播するのでそこは椿喜代表と常に心がけているところです。

自分も周りもワクワクする環境を作り、最高のパフォーマンスを!
──サブチーフからチーフへ。そして店長へ。気持ちの上で変わったことなどはありますか?
チーフとして組織マネジメントのノウハウを得ながら吸収し、今年1月に店長を任せてもらいしました。業務内容は特別変わったわけではないのですが、責任感は増大しましたね。自分の発言が「店長の言葉」としてメンバーたちに伝わるので、今まで以上に配慮して発信するようにしています。チーフ時代に学んだことは「グループからも信頼される」ということ。サブチーフまではメンバーの支持が重要ですが、さらに昇格するにはグループ全体を見渡す視野の広さが必要だと感じました。サブチーフ時代の苦労をわっさんたちが見てくれていて、自分に任せてもらえることになったと感じているので本当にわっさんについてきて良かったです。
──店長として、嬉しい気持ちになるのはどんなときですか?
自分のアドバイスなどが役立って、数字が上がっていくのを見たときですね。みんながしっかりと稼ぐことが、僕自身の幸せにつながっています。ホストたちは自分の成績が上がれば当然歩合で収入がアップしますし、私たち内勤は“店舗全体の利益が伸びれば、インセンティブが発生する”という仕組みです。あとは、とにかく“ワクワクできるかどうか”を大切にしています。みんながどんな要望を持っているかを知るためにも、そして楽しみながら働いているかどうかを確かめるためにも、周りに積極的に声をかけながら交流を深めています。
──最後に、将来の夢やビジョンについて教えてください。
椿喜代表を支え、大夢プロデューサーが店舗ではできなかったような成果を上げてもらうことですね。大夢さんとわっさんは、タッグで偉業を成し遂げてきました。大夢さんは店舗の枠から抜け出し、次のステップとして『ひろむん代表』といったインフルエンサー活動などを展開しています。もっと店舗でやりたかったこともあると思うのですが、その道を僕たちに譲ってくれたと感じているので、店舗という現場を託された僕たちは、大夢さんとわっさんを超えることが最大の恩返しだと考えています。
現在、ATOM本店とATOM WHITEの2店舗のマネージャーとして活躍されているマスさん。城山皓マネージャーから店舗運営のイロハを学びつつ、3年半店長を経験。修行時代の苦労ややりがい、組織マネジメントにおいて大切にしていることやプロとしての心得などを語ってもらいました。
苦労もあったが、それ以上に興味深い経験を得られた修行時代。
──アトムとの出会いを教えてください。
アトムとの出会いは7年前にさかのぼります。系列のバーの面接に行ったところ、「ホストクラブの内勤が足りていないので、良かったらそちらを手助けして欲しい」とオファーを受けました。実は当時、ホストに対して持っていたイメージは決して良くはなかったんです(笑)。見た目もいかついし、他店では強引なキャッチなども横行している時代でしたから。ただ、アトムの場合は先程話したような、“いかついイメージといった雰囲気とは違うな”と面接を通じて感じたので、そのまま入社することにしました。今でもアトムグループのホストは大好きですが、“ホスト業界全体が好きか?”と言われると疑問符がつきます。
──城山皓マネージャーから教えを受けたと聞きました。どんなことを学ばれましたか?
「全部」ですね(笑)。多すぎて一言では伝えきれません。入社した頃の僕は、今思えば子どもでした。内勤としてイチから現場の仕事や心構えなどを教わっただけではなく、人としても育ててもらったと思います。当時のホストクラブとしてはハコが大きくホストの人数が増えていく中、内勤2名だけで運営していたので大変だったことはたくさんあります。忙しいので新しい内勤を採用しようにも、アトムという社名もホストの内勤という業務内容も世間に知られておらず、応募がないような時代でした。
そこで当時は、知人たちを誘うリファラル採用に力を入れていた記憶がありますね。苦労がある中で、アトムで働き続けたのは皓さんの働いている姿やお人柄でした。ご飯につれていってもらい、話を聞いてもらったりアドバイスをいただいたりしていましたね。ちなみにその後、内勤が一般的になり、アトムも知名度が上がったので、僕が店長のときには内勤9名が活躍していました。
──修行期間、楽しかったことはどんなことでしょうか?
そもそも、ここじゃなかったら長く働いていないと思います。アトムは従業員も幹部も、周りにいる人たち全員がいい人ばかりという環境です。なので、苦労したこともありましたが総じて「楽しかった」という想い出の方が断然大きいですね。職場に出かけるときも、極端な言い方をすれば「友達に会いにいくようなイメージ」でしたから(笑)。コロナ禍の前は一緒に飲みに行ったり、旅行を楽しんだりしていました。仕事中はもちろん真剣ですが、遊びのときは無礼講です。メリハリをつけて働ける環境づくりを心がけていました。そんな組織運営のやり方も、皓さんから学んだことですね。

店長時代に培った、「内勤のプロフェッショナル」。
──「内勤のプロ」に必要な要素は何でしょうか?
後輩たちに口を酸っぱくして伝えているのは、「ホストは目の前にいる女性を大切にするのが仕事。内勤は女性とプレイヤー双方の満足度を向上させる仕事だ」ということです。内勤は俯瞰的立場でお店全体を見ながら行動することが求められます。どれだけプレイヤーが素晴らしい接客をしても、内勤の態度が少しでも悪ければお店全体のイメージダウンにつながります。逆に内勤が頑張っていれば、その努力や熱量がプレイヤーやお客様にも伝わって、自然とお店全体も盛り上がっていくのです。あと僕の場合は「負けず嫌い」という要素もありました。アトムの中で「ナンバーワン」になれなかったときの悔しさは、強いバネとして作用しましたね。
──3年半の店長時代、大事にしていたことを教えてください。
部下たちからの「見られ方」に気を配っていましたね。8名の部下にとっては、僕が見本になります。僕が皓さんを見て育ったように、勤務態度や所作、挨拶の仕方など常に規範となるように意識をしていますね。アトムは未経験者を採用して育成する方針なので、最初は「お酒の種類」や「相手の立場を考えて接客する重要性」などもわからないので、イチから丁寧にレクチャーします。ただ、変なクセもついていないので、教え甲斐がありますよ。
あと「姿勢」も重要です。歩き方ひとつとっても、背筋をピシッとしていないと安っぽく見えてしまいます。お客様がお店に来て、最初に接するのは内勤スタッフ。店のブランドイメージを保つためにも「正しい姿勢」にこだわり、ヤンキーのような歩き方になっていたり、猫背になっていたりしたのを見たときはすぐに注意をしています。
──皓さんから学んだ中で、独自でやった施策などはありますか?
独自でやったというよりも、お店の組織図がガラッと変わったので、仕事の進め方などで大きく変わったところがあります。当初は内勤が3人体制だったので、何かをするにしても小回りの利く組織で、物事の進め方もスムーズでした。僕が店長になってから一気にスタッフを増やしたので、「役割分担」や「的確にコミュニケーションをとること」が不可欠になりましたね。報告・連絡・相談といった業務に必要な基本的なことを教えるのはもちろん、営業時間外も一緒に過ごしながらスタッフの考え方や理念などもしっかり聞くように心がけていました。

店長からマネージャーへ。マネージャーとしての役割とは。
──店長から2店舗のマネージャーに。意識など変わったことはありますか?
店長時代の後半は、マネージャーとしての動きをしていたので働き方が大きく変わったわけではないですね。ただ、マネージャーになってからは統括する視点が必要になったので、気持ちの部分は切り替わったと思います。マネージャーとしての業務は各店舗の責任者のケアをしたり、グループ視点からのアドバイスをしたり、情報共有などをしたりしています。現場の責任者は自分もそうでしたが、どうしても「自分のお店のこと」に集中しがちです。店舗への責任感も大事なことなのですが、外に目を向けることも大切なのでその架け橋になっています。
──具体的に、架け橋になってグループとして取り組んだエピソードを教えてください。
たとえば、これまで「採用業務」は各店舗がそれぞれのやり方で行なっていたのですが、梅田店でビジネス向けのLINEアカウント「LINE@」を使うようになってから、非常に効率的になりました。ひとりが個別で対応するのではなく、みんなで協力しあいながら24時間対応できるようになったので、取りこぼしが無くなったのです。その仕組みを各店舗に取り入れましたね。あとは、SNSの推進です。自分を対外的に知ってもらうには、SNSはとても有効なので、まずは始めて発信を続けるようみんなに促しています。
──今後アトムグループで実現したいことなどはありますか?
「個人の夢」というのは、子どものころからあまり意識したことがなくて(笑)。アトムに来てからは、上層部もメンバーも本当に「ええやつ」の集団なので“ずっとアトムのみんなで楽しく過ごしていけたらいいなあ”と思うようになりました。そのためにもまずは、修斗会長の夢を全力でサポートして実現させたいですね。
地元の同級生である修斗会長に誘われ、昼から夜の世界へと足を踏み入れたやすとさん。アトムグループ初の内勤として店舗を支え、現在は役員兼総務として現場のバックアップに奔走しています。「現場が数字を出せる環境づくり」を目標に掲げるやすとさんに、グループを支える心構えと目標について伺いました。
昼職で感じた失望。修斗会長に誘われて情熱溢れる夜の世界へ
──アトムグループで働くことになったきっかけを教えてください
大学を卒業した後はまず不動産会社の営業になり、その後ウェディングプランナーとなりました。いわゆる昼職で働いていたのですが、未来に対する前向きな考えを持ちながら働く人が周囲におらず、少し物足りなさを感じていました。そうしてそろそろ転職を…と考えはじめた頃、中学生時代の同級生だった修斗会長から「一緒に働かないか」と声を掛けてもらったんです。アトムの創設から2年目くらいの時期ですね。職場に失望していた自分と比較して、修斗会長は仲間ととても楽しそうに働いていたので、じゃあ少しやってみようかと思ったのが始まりです。
──昼から夜の世界への転身となりましたが、仕事へはスムーズに入れたのでしょうか
業務内容は内勤、いわゆるプレイヤーであるホストのサポートをする裏方として働き始めました。当時のアトムには内勤という役割がなく、私が内勤として働く第1号のスタッフでした。学生時代に飲食店でアルバイトをしていた経験があったので、仕事内容は特に問題も無く対応できていたのですが、実は入店当初は夜職に対する抵抗感があり、あまり長く続けるつもりはありませんでした。
内心「2ヶ月ぐらいで辞めようか…」と思いながら働いていたんですが、夜の世界で生きるホストたちと一緒に過ごす時間が増えるにつれ、だんだんと夜職に対する抵抗感、偏見がなくなっていきました。半年くらい経った頃には、すっかり夜の世界で頑張る気になってましたね。
──当初は抱えていた夜職への抵抗感は、どうして消えていったのでしょうか。
一緒に働いていたメンバーがみんな本当にいいやつだったのが大きいと思います。誰も彼もみんな仕事に対して前向きで、稼いでやろうという意欲が強いやつばかりでした。前職の同僚が未来に対して前向きでなかったというギャップもあると思いますが、仲間を大切にする思いを持ちながら、自分たちの未来を自分たちで作ってやろうという熱量がすごいんです。ギラギラしたやつらから刺激を受ける毎日が本当に楽しかったですね。
そういう環境にいると、自然と「自分も何かの形で貢献したい」という気持ちが芽生えてきて、この環境で本腰を入れる覚悟が決まりました。

店長を経て総務へ。現場を裏から支える会社の屋台骨
──店長になられたそうですが、どのような経緯ですか?
時間が経つにつれて、徐々に店の売り上げや従業員全体の管理もするように私自身の役割が変わっていきました。明らかに一内勤スタッフとしての働き方ではなくなっていったんですが、当時はそういう立場の人間に対する役職がなくて。その頃に一緒に働いていた内勤のまとめ役をしていた子と話している時に「仕事内容にあった役職があったほうがいいよね」という話になり、そこで店長という役職をつくることを決めました。
──ということは店長第一号ですか?
そうですね。元々アトムには店長という役割が無かったのですが、内部に対しても外部に対しても説得力がある役職が欲しいという理由で、当初担っていた役割に後から役職がついてきた形です。私が入ってから1年半くらいの時期だったと思います。そこから各店舗の内勤の一番上の子が店長になるという流れができて、その後は店長に昇進するためのステップが正式に作られました。
──現在は総務の役職についていますが、どのような役割なのでしょうか。
2店舗を兼任する統括店長を経て、役員制度が制定されるタイミングで総務部門が設立されました。ATMGホールディングスで扱うお酒の輸入の手配や地方から入店するメンバーの寮確保、グループ全体のイベントや会議、表彰式の手配・進行などを中心に、全店舗の総合的なバックアップをする役割を担っています。
──総務になってご自身の働き方や考え方に変化はありましたか?
店長は店舗の中の仕事がうまく回るように立ち回る役割でしたが、総務になるとグループ全体の全店舗がサポートの対象になります。毎月の全店舗の責任者会議では「こういうものが欲しい」「ここを改善してほしい」という希望がどんどん出てきます。私自身、店長として働いている間に苦労した部分はたくさんありましたので、現場が同じような苦労をしなくて済むように、声を吸い上げながら働きやすい環境作りに取り組みたいですね。「総務があるから現場の環境が良くなっている」と感じてもらえる存在であり続けたいと思っています。

上を目指す人も、もう一度這い上がりたい人も。誰もが活躍できる場所を目指して
──やすとさんにとって、アトムグループとはどんな場所ですか?
職場であり、遊びの場所でもあるという感覚です。昼職時代の同僚はプライベートと仕事の時間を明確に分けたいと考える傾向が強かったんですが、アトムのメンバーは良い意味で全ての時間を融合させながら働いていると感じますね。もちろん数字を追う仕事ですので、現場は大変なプレッシャーがかかっていると思いますが、それを踏まえてもやっぱり楽しいと思ってくれているメンバーが多いと思います。
──やすとさんの目からみてアトムグループに向いているのはどんな人ですか?
アトムグループは、本当に受け皿が大きい場所なんです。これまで順風満帆なキャリアを歩んできた人が、もうひとつ上を目指せるステージが用意されています。一方で、人間関係が原因で苦労してきた人や、自分の人間力に不安を抱えている人の再チャレンジの場所としてもアトムグループはうってつけです。
今のメンバーはみんな、仲間のチャレンジをすごく応援してくれるんです。もっと上を目指したい、もう一度這い上がりたいという自分の目標に向かって走りたい人は、プレイヤーでも内勤でも喜んで歓迎します。
──最後にやすとさんご自身の目標を教えてください。
以前は店舗の売り上げをいくらにしたい、社員規模を何人にしたいなど、自分でつくる数字を目標にしていましたが、現在は総務という立場になったことで、会社全体の実績・利益に目が向くようになりました。
どうしても役員である以上、現場の不満の矛先が向きやすい面はあると思っています。しかし役員であるからこそ現場の不満を受け止め、会社全体の利益に繋がる改革を行えるのも間違いありません。今考えているのは、現場全員の数字をいかに上げられるかという仕組みづくりです。これからも時代の流れに合わせたシステムを導入しながら、現場が活躍できる環境づくりを続けていきたいと思います。
サッカーに打ち込んだ青春時代を経て、大学生の時に芸能事務所にスカウトされ雑誌などのモデルとして活動していた武華冬夜さん。現在、日本最高峰のホスト激戦区、歌舞伎町にある『ATOM TOKYO』の代表取締役として活躍。店舗運営を切り盛りしつつ、プレイヤーとしても力を発揮する「プレイングマネージャー」の立ち位置で、みんなから慕われる存在です。そんな冬夜さんに代表取締役の葛藤ややりがい、ビジョンなどを語ってもらいました。
「修斗会長の人柄と、経営の信念に惚れた」がホストへの入り口。
──会長から、直接お声掛けがあったそうですね?
大学生でモデルをしているときに、会長から「一度、直接お話をしませんか?」とフランクな感じでお誘いを受けました。ちょうど「経営者とお会いして、知識やノウハウなどを吸収したい」と思っていた時期だったので、一緒にお食事をすることに。「ホストという仕事に興味はないですか?」というオファーを頂いたのですが、当時「ホスト」に対して良い印象がなくて、お断りしました。
その後、ホストに誘われることもなく、約半年間ほど修斗会長が東京に来るタイミングで飲みに行きながらお話をしているうちに「自分が思っていたようなホスト像とまったく違う。むしろ、人間性を高めることを重視する自分が目指している“遥か先を走っている人”だ」と感じ、「この人のもとで学びたい!」という気持ちが芽生えたのが、アトム入社のきっかけですね。
──「会長から学びたい」という気持ちが、ホストデビューにつながったんですね。
大学生活も後半になるにつれて、「無難に就職する」か「ホストに挑戦するか」でちょっと悩みました。ただ、「魅力的な会長から学びたい。一緒に働きたい」という気持ちの方が断然高かったので、後者を選択しましたね。また、もともと僕の中に「成功者になりたい」という夢があったことも、ホストになった要因のひとつです。
というのも、モデルのときもそうなのですが、「代えがきかない“自分しかできない”仕事」で活躍したいと思っていたからです。それは、子どもの頃から固まっていた考え方ですね。ホストは自分自身を商品にしてプロデュースする職種なので、まさに「余人を持って代えがたい仕事だ」と思いました。
──その後、スピード出世で昨年夏に代表取締役へ。どのような流れでしたか?
ホストになるにあたり、1年目はがむしゃらに学び、2年目は成果を追求、3年目は次の進路を決めようという「3ヶ年計画」を立てていました。おかげさまで店舗ナンバーワンや、グループで上位にランキングされるなどの結果を残すことができ、「アトム トウキョウ」の代表取締役をサポートする機会にも恵まれ、前代表のときは右腕の役割を担当させてもらいました。そこで次のキャリアを考えているとき、「代表取締役」というポジションのオファーをいただいたのです。
あとは上司が「ATOM TOKYO」を離れるという流れもありました。入店して1年経過しないうちにYPLUS(ワイプラス)の専属モデルになったり、アトム内のユニット「サンシャイン」のメンバーになれたり、「ATOM TOKYO」の看板に出られたりと“運やタイミング”に恵まれていると、しみじみ感じますね。

カリスマ的なリーダーよりも、「人を頼り、頼られる組織づくり」を重んじる。
──代表取締役としての葛藤やご苦労を教えてください。
葛藤はずっとあります。僕はこだわりが強くて「みんなで力を合わせて成長し、助け合いながら人間性を高め合うような理想の組織」を創りたいんです。ホストは「ヒト・モノ・カネ」のうち、「ヒトとカネ」で成り立つ特殊な業態で、最後に残るのは「ヒト」だと思います。お金も大切ですが、それ以上に「ヒト」というリソースを強化することで、ビジネスとしても勝ち筋になると考えているのです。ただ、ホストは「個人の夢を追求する」という側面がある職種なので、みんなのベクトルを合わせるのは大変なところがありますね。
──その大変さを、どのように解決に導いておられますか?
「背中で語って引っ張っていく」というリーダー像は、もちろんカッコいいのですが、僕の場合はこまめにケアをしつつみんなに声をかける「距離の近いマネジメント」を心がけています。この前も新人のメンバーに「君は親しみやすいキャラだね」と声をかけたら、「冬夜さんに対してだからですよ」とすぐに返答がありました(笑)。先ほどの「こだわり」の部分とも結びつくのですが、店舗運営を俯瞰で見たときに「ヒト」が残らなければ意味がないですし、ホスト自身のセカンドキャリア的にも、“ゴリゴリと自分だけが儲ける”のは一過性に過ぎないと思うのです。「みんなから愛される人間性を身に付けること」が未来につながると信じているので、そこは徹底していますね。
──やりがいを感じたエピソードを教えてください。
僕がメンバーをサポートするのは職務として当然なのですが、僕自身もあえて従業員の前で弱音をさらけだすようにしているんです。たとえば「数字が下がっていることに責任を感じる」という話をしたとき、「みんなで冬夜さんを支えますから!」という力強い声をかけてもらったとき、うれしくなりました。運営側とメンバーの垣根を超えて「みんなで支え合う組織づくり」がうまくいっているのを把握できた瞬間、やりがいを実感しますね。

ホスト激戦区で勝ち抜くため「アトムらしさ」を戦略の軸に据える。
──日本一の激戦区「歌舞伎町」で、お客様から選ばれるために意識されていることは?
僕も含めて、未経験からスタートしたホストたちなので人間性を尊ぶ「アトムマインド」が浸透していると思います。たとえば、女の子が1人きりの状態になることを“オンリー”というのですが、当店ではお金を使っている、使っていないに関わらず“オンリー”にはしません。お金を使っている女の子だけを優遇する方が、目先のお金儲けにはなるでしょう。でも、僕は「質の高いサービスをすることで、いつか結果がついてくる」と信じているので、戦略がブレることはないですね。「ブレない」理由は、修斗会長が理想を具現化しているという「お手本」があるおかげです。本物志向の良い店舗づくりにこれからも注力しますよ。
──「ATOM TOKYO」のビジョンや、どんな人に仲間になって欲しいと思いますか?
「頂点を目指す」ことですね。歌舞伎町でトップをとることで、「アトムマインドが成功の秘訣だ」という方程式が出来上がれば、きっとホストという仕事の価値が上がり、もっと多くの人々に受け入れてもらえると思うのです。仲間については、どんな新人であっても受け入れる方針ですね。その人の夢の実現のために成長を促進できるという自信があるので「人間性を鍛えたい」という方、大歓迎。たとえば、僕のように「実はホストに対して、良いイメージがなかった」ような方にも門戸を開き、新しい旋風を巻き起こしてもらいたいと思います。
──最後に、個人の夢や理念などを教えてください。
「自分らしくなくなるのは、嫌だ」という、僕自身の“芯”を貫くためにも常に結果を出し続けることが肝要だと思っています。最初はキャリアプランを3年で区切っていたのですが、代表取締役になってから実感するのは「まだまだ止まれない。突っ走っていきたい」という想いです。将来的な話をすると、まずは自分が思い描く組織を創り上げ、僕が完全に運営側にまわって現場に出ないような状況になっても「冬夜イズム」が貫かれていると嬉しいですね。そうなるためにも信念を曲げず、一歩ずつ確実に「今」を前進していきます。
リーマンショック直後の時期からアトムに参画し、現在は2022年10月にオープンしたばかりの「ATOM-NAGOYA-」のアドバイザーとして活躍中の桜木春馬さん。城山想社長と大学時代の友人で、一緒に体験入店したことをきっかけにホストの道に。一時期お店を離れたこともあったそうですが、修斗会長のオファーや仲間たちと結ばれた深い絆でアトムに復帰。そんな春馬さんに、アドバイザーとしての役割や人材育成で大切にしていること、今後のビジョンなどを聞きました。
一度離れたからこそわかった、修斗会長の手腕やアトムの魅力。
──アトムでホストデビューされた理由や、プレイヤー時代のエピソードを教えてください。
最初は「大学を卒業するまでのアルバイト」のつもりでホストになりました。当時リーマンショックで他のバイト先がなくなった中、アトムだけはしっかりと事業を展開していました。今は大所帯のアトムグループですが、当時は10人くらいでした。ホストという仕事は、当時シャンパンタワーで盛り上がっているシーンなどがテレビで放送されているのを視聴して「楽しそうだな」と思っていたので、もともと興味があったんです。
プレイヤー時代のエピソードとしては苦労ももちろんありましたが、それ以上に修斗会長や馬刺副会長といった幹部、そして先輩たちがみんな良い人で毎日出勤するのが楽しかったですね。会話が面白かったことと、プライベートでも飲みに誘ってもらったり、家でテレビゲームをしたりと良い想い出が詰まっています。
──グループ1位などの成績を残しながらも、一度アトムを離れた時期があると聞きました。
21歳のとき、共同経営でバーをすることになり退職。半年ほど経営したのですが撤退しました。そこで集客の苦労や、経費とリターンといった経営の大変さを失敗から学ぶことができ“会長の凄さ”を肌で実感しましたね。その後会長から「良かったら戻ってこないか?」というお誘いをもらいました。僕としては「ひろってもらった恩があるので、かならずついていく」という強い気持ちがあるのですが、会長にその熱意は伝わっていないと思います(笑)。また、かわいがってくれた先輩たちの存在も大きかったですね。組織が拡大し、それぞれ拠点が変わった今でも一緒に御飯に行っていますよ。

ホストそれぞれの個性に寄り添ったマネジメントで、育成に力を注ぐ。
──アドバイザーとは、どんなお仕事でしょうか?
僕の場合ちょっと特殊で、バックオフィスや経理関連から店舗運営、場合によりプレイヤーもするというオールラウンドな動きをしています。ミッションとしては、「ATOM-NAGOYA-」の拓真代表を支え、運営をフォローすることですね。従業員の話を聞いたり、拓真代表と「こんなお店にしていきたい」といった運営方針などを話し合って決めたりしています。みんなの意見を聞きつつ、俯瞰的な視点からアドバイスを行なうポジションです。特に人材育成には力を入れており、各ホストの個性を尊重したやり方で成長を促進しています。
──具体的にはどのようなアドバイスをされているのでしょうか?
例えば、同じ言葉であっても拓真代表と僕とでは違う伝わり方をすることがあったりするので、それぞれのキャラを意識したマネジメントをするように役割分担をしています。面白いことにちょうど拓真代表がポジティブで楽天的な個性を持ち、僕が常にリスクヘッジを考えるタイプなのでバランスがとれているんです。僕が心がけているのは「根っ子の部分」を把握すること。最初はみんな猫をかぶるので、それを取っ払って「本音ベース」で話をします。熱意が通じて「ついていきます!」と言われたりすると嬉しいです。
あと、テクニカルなところでいうと「LINEの返信の仕方」なども伝えています。文面もそうですが、「女の子の立場にたって、どんな時間帯で生活しているかを想像して送信する」といったことが重要です。場合によっては「いつもより早起きしてメッセージする」ことも求められます。
──人材育成において、「特にここに力を入れている」ところは?
まずは目標をつくってあげることですね。もともと持っている場合はそれを尊重し、「目標がない」というときは、「将来どんなことがしたいのか?」などを丁寧にヒアリングして、プランを立てます。成功体験を積み上げることが大切なので、たとえば「これだけの組数にチャレンジしてみよう」といった具体的な数字を出します。達成すると、一緒に御飯に行って褒めたりもしますが、ホストは結果がすぐに現実的な収入に結びつく仕事なので成長につながりますね。僕もプレイヤー時代に収入がアップしたとき、「これで先輩たちと同じ生活レベルになれた。この質を落としたくない!」という気持ちで頑張れたので、目標を立ててクリアし続けるという育成方針をとっています。

コストダウンで経費を削減。余剰リソースを人材育成に投資する。
──経営運営やアドバイザーのノウハウや知見は、どこで育まれたのでしょうか?
以前、アトムグループがFC展開をしたことがあります。そのときに、店長を任された経験が大きいですね。結果、コロナ禍もあってお店は閉じることになるのですが、当時の森本圭社長は良いことだけではなく、「売上が伸びていない」といった悪いこともしっかりと共有してくれました。利益を拡大するためには、コストを削減しながら、リソースを人材投資に振り分けるといった経営の仕方を実地で身に付けることができたと思います。今でも細かいことですが「コースターひとつでも無駄にしない」ことを徹底。無駄を省くことで生まれた余剰資金を人材育成にまわし、組織の成長を目指しています。
──理想とする組織、ホスト像はありますか?
ホストみんなが、しっかりお給料をもらえる組織が理想です。スタープレイヤーだけが高収入を得るというよりも全員が稼げるようになって欲しいですし、その結果、お店も大きな利益を出し続けることができます。チームプレーを大切にして、全員がみんなのために努力するという方針は創業初期から変わっておらず、僕自身も先輩たちから教わったことなので大切な信念ですね。
──新店舗は集客が大変そうなイメージがありますが、どのような施策をしていますか?
アトムの知名度が名古屋では低いので、まずは認知してもらうためSNS戦略に力を入れています。例えば「1日5人にDMを送る」といった地道な活動をしていますね。いきなりブレイクすることは難しいですが、今はひとりでも多くのお客様にリーチするための種まきの時期です。また、新店舗のメリットとして既存の枠組みなどにとらわれることなく、今からホストをはじめる方でも「頑張り次第で、上のポジションを狙える」という魅力があります。“ホストデビューしたい!”という方にとってチャンスだと思いますよ。
──今後のビジョンや、個人の夢を教えてください。
今の店舗が小規模なので、拡大するか2店舗目をオープンさせたいです。「アトムなら売上を伸ばせる」というモデルケースをつくり、修斗会長が目指す「全国展開」を成功させたいですね。そのためにも今は人材育成という土台を完璧に仕上げる必要があり、来年は勝負の年として密かに“グループ内売上上位”を狙っています。僕個人として「あれをしたい。こうなりたい」というものはあまりないのですが、会長に受けた恩をお返しするために、「これをやって欲しい」というオーダーがあればすぐに取り組めるようフットワークを軽くして常にスタンバイしている状態です。会長を支えてその想いを叶えることが、僕自身の夢につながっていますね。
きらびやかでダイナミックな映像が大画面に映し出され、「表彰式」のボルテージは一気に最高潮へ!そんな華々しい映像制作を支えているのが、少数精鋭のクリエイターたち。アトムには多彩な「プロ人材」が集い、ホスト事業やその他のビジネスを支えています。
今回取材をした“しげさん”もフリーランスとしてアトムを支える「プロ人材」のひとり。Webデザインや動画制作などを手掛け、「表彰式」では緻密でハイクオリティな映像の演出と制作を担当するしげさんに、お話を聞きました。
お互いに「プロ」としてリスペクトし合う。自己研鑽できる環境で活躍する。
──アトムに参画されるまでのキャリアを教えてください。
学校を卒業後、デザインのスクールに通ってデザイナーになるための勉強をしていました。そのとき、デザインの基礎やレイアウト作成ソフトのAdobe『Illustrator』の使い方など学びましたね。次に、高度な写真加工をすることができるソフト『Photoshop』の使い方を教えてもらう予定だったのですが、その前にスクールが潰れてしまうという残念な結果に。それ以降は、デザイン会社で下積みをしながら腕を磨きつつ成果を残し、デザイナーとしてスキルアップしました。そんな会社員時代を経て、28歳で独立したというキャリアですね。
また、もともと、フリーランス志望だったということと、新しい技術やテクノロジーの習得といった「時代から必要とされるスキルの習得」には貪欲でした。下積み中も、時間を作って同時並行でWebや動画制作の勉強をしていましたね。
──アトムグループと出会ったきっかけと、働くことに決めた理由は何ですか?
きっかけはアトムに知り合いがいて、その方からの紹介です。「制作系が自分しかおらず、手がまわらない」という相談をいただきました。それでHP制作などのWebやデザイン、動画制作などをお手伝いすることになったのです。まずは、単発で複数の案件を担当。すると、私の仕事に対して「リスペクトをしてくれている」という雰囲気が伝わりました。また、それまでは無縁だったホストのことを、職務を通じて学んだことも大きいですね。
きらびやかなところがフューチャーされる「ホスト」たちが、裏で凄い努力しているのに、表ではそれを一切外に出さない仕事術を徹底していることなどを知り、私自身もホストに対して尊敬の念を抱くようになりました。また、人間関係も良好で仕事の内容も興味深くて面白かったので、アトムで働くことを決めましたね。お互いに「プロとして敬意を持つ」という空気が醸成されていることは、フリーランスが業務委託として働く上で大切なことだと思います。

クリエイターとして結果を残し、クリエイティブを伝える育成の面白さにも目覚める。
──今の業務内容を教えてください。
主に「画像」「動画」「Web」の制作業務です。画像については、HPのランキングやイベントで使われる画像の加工や合成などをしています。他にも看板のデザインなども手掛けていますね。動画は、表彰式で使われるPVなどを制作。アニメーションや複雑で斬新なビジュアルを表現できる『After Effects』という動画編集ソフトを用いて、凝った演出などを考えて動画に落とし込んでいます。ホスト以外の事業や、アトムから紹介してもらったクライアントのサポートもしていますよ。
Webは、HPを中心にアトムホールディング全体を横断するような形で、色々と手掛けています。プロモーションの立案~実行は得意領域ですね。あと、これまではずっとプレイヤーだったのですが、アトムに来てから、「育成業務」も担当しています。
──育成業務について、詳しく知りたいです!
当初、制作業務を担っていたのが私と紹介してくれた方のふたり体制でしたが、アトムが急拡大していく中で、リソースが足りなくなってきたのです。そこで、「各店舗で、簡単な制作業務ができるように『Photoshop』の使い方などを内勤スタッフにレクチャーする」という講習会がスタートしました。だいたい、各店舗からひとりずつくらいが参加してくれています。ソフトの使い方などテクニカルなことは丁寧に教えつつ、デザインについては、まずは成果物を制作してもらって、「こうした方がキレイで見栄えが良くなり、見ている人に伝わりやすくなるよ」とアドバイス。ブラッシュアップしながら育成する方法をとっています。内勤の仕事をしながら時間が無いスタッフも多い中で、みんな一生懸命学ぼうとしてくれるので教える方も真剣です。
育成は初めての経験ですが、スタッフたちの成果物の質やクリエイティブ力が上がり「成長」を感じられるのは、とても嬉しいですね。たとえば、最初は「各店舗で簡単な制作ができるようになる」のが目的でしたが、メキメキと上達して今ではアトム全体に関わるデザイン業務を任されている内勤スタッフの姿などを見ると、教える楽しさを実感します。
華々しい表彰式で流れる、緻密でクリエイティブなPV。制作の苦労と、それを超えるやりがい。
──表彰式のPVを制作されている上でのご苦労はありますか?
タイトなスケジュールの中で、間違いが無いように進めなければならないので大変なことは多いですよ(笑)。たとえば、パネル写真や動画の差し替え、役職名の変更といったところです。結果に応じて早期に役職者になれるのがアトムの特徴なので、それに対応しています。みんなが注目している映像だけに「ランキングを間違ったら大変なことになる」といったプレッシャーは大きいですね。
──やりがいを実感するのは、どんなときですか?
やはり「クオリティが高くて、思わず魅入った!」といったような声をかけられると、苦労などは全部吹き飛んで嬉しい気持ちになりますね。年間売上ランキングは、表彰式の中でも最高潮に盛り上がるシーン。PVの演出を考え、自ら手を動かして制作した成果物に対しての反応をダイレクトに見ることができるのは、クリエイターとしての手応えを感じられる環境だと思います。ちなみに10分の動画で、編集にかかる時間は5日間ほどです。

自然と距離が縮まり、気がつけば一緒に旅行に。フリーランスとしてクリエイティブに専念できる働きやすさ。
──アトムで働く魅力や、フリーランスとしての働きやすさについて教えてください。
アトムとのお付き合いは約5年になりますが、働く前はクライアントということもあり、「適度な距離感を持って働こう」と思っていました。ただ、いつの間にか距離が縮まり、ご飯に行ったり、コロナ前は「北海道に行くから、一緒に」と誘ってもらって旅行を楽しんだりしています。
明るい挨拶もそうですが、みんなが親しくしてくれる風土が根付いているので、私も心をオープンにして仕事を進められる職場ですね。旅行先では、仕事の話はせずに、お酒を飲んで大いに盛り上がります。フリーランスとしての働きやすさは、「任せてくれる」ことに尽きますね。自分が「良い」と思うデザインや動画制作を追求できるので、クリエイティブに専念することができます。
──今後のビジョンを教えてください。
アトムで人材育成の面白さを知ったので、「教える力」をもっと磨いていきたいですね。また、「新しいことが好き」なので、3Dモデリングの技術を習得し、メタバースやNFTといった最新の領域にチャレンジしたいと考えています。アトムもチャレンジを応援してくれる風土なので、自分のマインドと合っていますね。
個性豊かな実力派ホストが揃うSTELLAにて、取締役を務める桐生翔斗さん。細部まで配慮された思考とロジカルな話し方が印象的な翔斗さんですが、人材教育についてはどのような姿勢で取り組んでいるのでしょうか。「昔から人間観察が好きで、気になったことはとことん追求してしまう」という翔斗さんに、従業員に対する教育やコミュニケーションにおいて意識しているポイントなどを伺いました。
相手をよく観察し、絶妙なタイミングで手を差し伸べる
―新人教育に関して意識しているポイントを教えてください。
これは業界関係なく言えることだと思いますが、最初から社長や代表などの経営層が新人に対して指導をしてしまうと、その人たちの言うことしか聞かなくなってしまう可能性があるんです。
もちろん声掛けなどは行いますが、幹部補佐や主任など、いわゆる中堅層に新人教育は任せるようにしていますね。
また、新人教育の内容を役職ごとに設定するようにしています。
例えば、幹部補佐は「挨拶・テーブルマナー」、副主任は「新規顧客の獲得方法」、主任は「リピートや組数の伸ばし方」といった具合です。
新人に対して、いきなり高度なテクニックや運営陣の豊富な経験を話しても理解できないと思うので、役職ごとに段階を踏んで教育するようにしていますね。
また、入店3か月を経過したタイミングというのは、顧客を獲得できていないプレイヤーが退店を考えるタイミングでもあると思うんですよ。
そこをケアするために、僕と新人に加えて、その新人をこれから育ててほしいと思うプレイヤーも一緒に食事に行くようにしています。
あとは、マンツーマンの教育ではなく、その新人の上位互換となるような先輩をバディとしてつけるという体制をとっていますね。
大体3か月ごとのスパンで状況を確認し、そこであまり相性が良くなければ、また違う配置に変更していくというスタイルです。
ただ、新人教育は幹部陣に任せているとはいえ、「何かわからないことがあったら僕に聞いてもいいからね」ということは伝えています。
ただし、この時の“質問の仕方”には注意するよう伝えているんです。
例えば、LINEの返信方法について「こういう場合って、どう返信したらいいですか?」という質問をするのではなく、「この内容で返信しようと思うのですが、何か改善すべき点はありますか?」といった具合の質問をしてほしいんですよ。
従業員には「自分がどうしたいのか」ということを考えて、行動・発信できる力を養ってもらいたいですね。
―人間力の教育に必要なことに関して翔斗さんの意見をお聞かせください。
“人間力”を伸ばす前提として、まずは「人から好かれる人間」になる必要がありますよね。
そして、人から好かれるためには「距離の縮め方」が重要なポイントだと考えています。
例えば、“毎日食事に誘ってくれる人”と“自分が落ち込んだ時にピンポイントで食事に誘ってくれる人”だと、自分のことを理解してくれていると感じるのは後者だと思うんですよ。
つまり、「いかに相手のニーズがあるタイミングで手を差し伸べられるか」ということが重要になるのですが、これを実践するためには日頃から相手のことをよく観察して、少しでも多くの情報をインプットしておく必要があります。
日頃から密なコミュニケーションを実践できていれば、「この人はこういう趣味や長所があるから、この席についてもらおう」とか、仕事にも活かすことができると思うんです。
“人間力”の教育方法に明確な答えはないかもしれませんが、こういった姿勢で人間関係を構築することができれば、おのずと人間力は向上していくのではないかと思いますね。
まずは「笑顔」と「愛想の良さ」を徹底することから始めて、徐々に相手のことをより深く理解できるような立ち回りを意識することが重要ではないでしょうか。

物事を店舗全体で捉えるのではなく、従業員の特性に応じて柔軟に対応
―実施している退店防止策について教えてください。
まず、成果を出した子に対しては、しっかりと褒めることが重要だと思います。
先輩に褒められたら誰でも嬉しいですし、「自分が尊敬している先輩に褒められたいから売上を作りたい」というプレイヤーもなかにはいると思うんですよ。
だからこそ、従業員から好かれやすいプレイヤーであるほど、後輩が何か成果を出したときには褒めてあげてほしいと思いますね。
あとは、従業員の趣味や好きなことを把握し、共通点が多い従業員同士をマッチングさせることで、その子たちの居場所を提供するということも意識して行っています。
もし運営陣のことが好きではなかったとしても、仲の良い同期や好きな先輩がいれば、このお店で働き続けたいと思ってくれる子は多いと思うんですよ。
この点は、教育全般と連動している考え方かもしれませんね。
また、レクリエーションは仕事の一環としても実施する必要があると思いますが、全員を強制的に巻き込むのではなく、従業員それぞれの特性や趣味に合わせた交流を促すことが重要だと思います。
―従業員からの要望や不満の吸い上げはどのように行っていますか?
従業員からの不満や、辞めたいと言っている従業員の情報などは運営陣の会議で共有していますね。
その他の細かい悩みに関しては、バディとして教育しているプレイヤーから報告をもらっていて、そこで情報の吸い上げを行っているという形です。
ただ、プレイヤー同士の相性を考えてバディを組ませるようにしているので、僕に相談する前に対応可能なケースもあるんですよ。
だから内容によって、教育を担当している幹部から間接的に情報を吸い上げる場合と、悩んでいる従業員から直接話を聞く場合の2パターンがありますね。
ケースバイケースで、いつでも相談できるような窓口を用意しておくということが重要なのかなと思います。

何もわからないまま終わるのではなく、相手を知ろうとする努力が“人間力”の形成にもつながる
―インタビューを通じて非常にロジカルな印象を受けましたが、現在の翔斗さんを形成した過去の経験について教えてください。
僕は学生時代にホストを始めたのですが、当時は“自分と合わない”と感じたプレイヤーとは関わらないタイプだったんですよ。
そんな時に言われたのが「自分に必要ない人材だと決めつけるのではなく、その人にも何か長所があるはずと考えて接してみたら?」という言葉でした。
そこで、僕が当時苦手だった方と食事に行ってみたのですが、最初はやっぱり苦手だと思いました(笑)。
ただ、話していくと「意外と情に厚いな」とか「意外と真面目だな」という、新たな側面を見つけることができたんです。
自分が苦手な相手だったとしても、“自分から興味を持って探してみると意外な長所が見つかる”ということがわかりました。
最初から“この人は苦手だ”と決めつけるのではなく、まずは自分から相手に興味を持って接することで魅力を探し、そこからどういった人間関係を構築するかということを考えたほうがいいと思います。
相手のことを知る努力をせず、何もわからないまま関係性を終わらせるなんて、もったいないですからね。
アトムグループの初期から修斗会長を支え、現在は社長として組織を束ねる城山想さん。「僕はとにかく運が良いんです。周りに恵まれています」と語る想さんに、これまでの軌跡や、当時の舞台裏などを取材しました。
真の安定は、組織では無い。社会から必要とされる人間になること。
─ホストになったきっかけを教えてください。
大学進学と同時に、地方から大阪へ出てきたのですが、都会で過ごすことがとにかく楽しくて、居酒屋でアルバイトをしながら、麻雀や合コンなど遊び倒していました(笑)。「もっと面白いことは無いだろうか?」と探している時、同級生だった女性の友達から奨められたのがホストだったんです。友達から「何件かホストクラブを知っているけど、どんなところが良いの?」と質問されて、「オーナーが優しいところかな」と。それで紹介してもらったのが、アトムでした。実際に働いてみて、楽しかったですね。
─就職活動で悩まれたそうですね?
親がやっていたこともあり「消防士になりたい!」という夢がありました。公務員の安定性も魅力でしたね。大学時代に就職活動もして、不動産の会社から内定も出ていたのですが、ホストの道を選びました。ただ、実はまだ「安定」に未練があり、26歳の時に専門学校に行って学んだりするなど、ホストになってから5年ほど悩んだ時期があったんです。
転機はアトムが東京に進出するのが決まった27歳の時でした。プロデューサーの帝さんに「大阪拠点を想に任せたい。腰を据えてやってみないか?」と言われ、腹をくくりましたね。よく考えてみたら、公務員=安定でもないなと。むしろ、社会から必要とされる人間になり、自分自身でお金を生み出せるスキルを持つことが、究極の安定であって「組織に属するだけでは真の安定は得られない」と、マインドリセットしたんです。
─その後、代表を経て、アトムの礎を築く存在に。
アトムは最初、ミナミに1店舗あるだけでした。しかし、従業員の将来やキャリアなどを考えると、「多店舗展開が必要だ」と修斗会長。そこで、まずはミナミに分店することに。さらに、ミナミでのノウハウや知見を活かして全国展開に挑むことになります。会長は大胆な企画力と行動力で模範を示すタイプで、そんな会長の脇を固める幹部たちがしっかり受け止めて緻密に実行するという、バランスのとれた経営体制です。特に僕は心配性なので、常にリスクヘッジを考えていますね。

新店舗出店を次々とオーガナイズ。成功の裏にあったエピソード。
─ミナミに出店した時の思い出をぜひ!
懐かしいですね。今は「超大箱」も手掛けているアトムグループですが、当時は業界でも珍しい「大箱」への挑戦だったので、苦労したことを覚えています。その頃、短いスパンかつ、体制が整っていない状態での出店が続きました。というのも、ホスト業界では「箱の取り合い合戦」が勃発し、今も続いている状態。そんな中、トップの会長が独自の人脈を駆使したり、凄まじい行動力で店舗を発掘したりしながら、リスクをとって箱を押さえている苦労を知っているので、脇を支える僕としては「やりましょう!」と、応えるのが仕事です。
ただ、従業員はその大変さを知らされていないので、オーガナイズする立場としては苦境を感じたこともありました。ただ、救ってくれたのも従業員たちです。ビジョンを伝えると納得し、積極的に動いてくれました。ポテンシャルの高い従業員たちの能力を、最大限に引き出すためには、直接話すことと、背中で語ることが管理職として重要だと知ったのがその頃ですね。
─北海道にも進出。成功の裏に失敗談もあると聞きました。
100%僕の責任なのですが、現場に負荷をかけすぎてしまって、オーバーヒートを起こさせてしまったことがあります。理由は、最初の頃に直接現場に行けなかったこと。優秀で信頼のおけるリーダーとの間に、軋轢ができてしまったのです。そこで直接行って、とことん話し合い、溝を埋めました。ホストにとって新天地に赴くのは、文化もルールも違う中で戦う「海外に行くレベルの気持ち」だということを知り、汲み取るべきだったと心をあらためましたね。今は多少無理をしてでも北海道に足を運び、一緒にご飯を食べたり遊んだりするようにしています。
─10月オープンの新拠点、名古屋店への意気込みを教えてください。
地方展開第2弾を、最短で成功させたいという気持ちですね。早期に多店舗展開も目指したいです。そのため、グループのバックアップも厚くし、他店舗から応援メンバーも駆けつける手筈になっています。現場を率いる拓真代表はホストとしても実力者ですし、マネジメント能力も高い。売上を伸ばしながら、従業員を育成してくれると信じています。
あとは、個人的な想いも入るのですが、桜木春馬アドバイザーにも期待しています。実は、大学時代からの友達で「一緒にホストになろう」とこの世界に飛び込んだ仲間なんです。ホスト時代はライバルであり、不仲だったこともあったのですが、お互い30歳も越えて大人になりました。今はお互いを思いやる存在ですね。
社長として心掛けている、統率者の姿勢。
─店舗運営やマネジメントで気をつけていることは何でしょうか?
働きやすい環境づくりですね。僕の場合は、グイグイと引っ張るというより、リーダーたちと向き合い、じっくりと相談に乗ったり、話を聞いたりすることに重きをおいています。幹部たちは、部下の手前で本音を言えなかったり、意地やプライドがあるがゆえに、孤独を感じることもあるでしょう。しかし、ちょっと距離のある存在の僕には言いやすいし、僕自身も彼らのメンタルケアの助けになればとも考えています。
だから、気軽に相談できる存在であることを大切にしていますね。リーダーたちの悩みは、経営に関するものから、プライベートなものまで様々ですが「解決を望んでいる」というよりは、「とにかく話を聞いて欲しい」という内容が多いように感じます。
──リーダーたちを統率する上で、必要な資質は?
思い切って「任せる」ことですかね。ずっとホストをしていましたが、社長になったのはまだ1年目。でも、最初の頃は「社長で長年のキャリアがある」という錯覚に陥っていました。正直、社長に任命された時は「副主任から、主任になった」くらいのテンションだったので、行動も最初は同じようにしていたのですが、まったく違いました。
リーダーたちは僕の言葉を「社長が伝えること」として受け止め、真意を探りますが、こちらは心配するがゆえの“おせっかい”だったりするので、思っていたことと真逆の伝わり方をするケースもあったんです。だから、一歩引くべきところや、リーダーに担当してもらった方が成長に繋がる場面などでは、思い切って任せることを心がけるようになりました。
──最後に、理想の組織像と、将来のビジョンなどを教えてください。
お互い自立し、支え合っていけるような組織でありたいですね。依存するのではなく、向上心をぶつけ合いながらも、手を取り合うような企業が理想です。グループとしては、全国展開の成功ですね。拡大することでポジションができるので、社長の枠をもっと増やしていきたい。ホストで売れた後のキャリアも、しっかり描ける組織にしたいと考えています。そのため、あと4~5年は苦労を背負っていく覚悟です。ゴール地点が無いと、気持ちが持たないので。
気持ちと言えば、一度辛かった時に母親に電話したことがあるのですが、慰めてくれるかと思いきや、叱咤激励の言葉をかけられたことで、奮起した思い出があります(笑)。肉親もアトムグループもそうですが、周りに恵まれて、僕は本当に運が良いと思いますね。
アトムグループ全体の経理や決算業務を担当し、税務にも精通する奥村健史さん。高校時代から修斗会長の友人で、長く深い友情が続いている。さらなる飛躍に向けて税理士試験への合格を目指して勉強を続ける中、インタビューに答えてもらいました。
今も昔も変わらない、修斗会長の「周りから愛される」「誰に対しても優しい」という特性。
──修斗会長との出会いや関係性、具体的なエピソードを教えてください。
淡路島の同じ高校に通学し、一番仲良くしていたのが修斗会長でした。同じサッカー部ということもあり、仲間たちと一緒に毎日のように遊んでいました。僕の中では「親友」という存在ですね。本当にずっと一緒だったのでエピソードだらけなのですが、みんなで頑張ったことでいえば「バンド活動」がありますね。会長がギターで僕はドラムを担当、ボーカルとベースをN君とG君という仲間がやって、「卒業ライブ」をしたのが、本当に良い思い出ですね。あとは、最近のエピソードなのですが会長のお母さんに可愛がってもらっています。時間が遅くなったりすると、もう38歳になった僕を「うちに泊まっていき!」と誘っていただけるほど(笑)。ありがたい存在ですね。
──高校時代の修斗会長と、現在で「ここが変わったなあ」というところはありますか?
変わったところは、ほとんどないですね。当時から修斗会長はみんなの人気者で、ムードメーカー。男性からも女性からも好かれていました。特に会長はお笑いが好きなので、ボケもツッコミもやって、仲間内や周りのみんなをよく笑わせていたのを覚えています。実は、モノマネも上手で、阪神の掛布選手や生徒指導の先生のマネなどで爆笑をかっさらっていましたね。当時から自然と周りに人が集まり、愛される存在でした。あとは、当時からめちゃめちゃ「負けず嫌い」でしたね。麻雀や小さなゲームで、僕たちからすると「そんなことで負けても大したことない」という局面でも、勝負に負けるとくやしがっていました。その「負けん気」が、今の結果につながる要因のひとつだと感じますね。
また、今も昔もそうなのですが、会長のもとには“凄い人たち”が集まる求心力があるんです。そうした逸材同士を結びつけるのも上手ですね。そこが会長の一番の武器だと思います。そして、他人に対する謙虚さも変わりません。
──アトムグループには、どんなきっかけで入社されたのですか?
税理士事務所で5~6年ほど働いていたのですが、アトムグループの経理業務が追いつかないから手伝って欲しいとオファーをもらったのが入社のきっかけです。当時、「もっと今の事務所でスキルを磨きたい」という思いと、「親友をサポートする仕事は面白そうだ」という思いの間で葛藤がありましたが、後者を選びましたね。また以前に、アトムでアルバイトをしていた時期があり、楽しかったことや社風の良さを知っていたことも入社を決めた要因のひとつかもしれません。

組織をディフェンスする仕事。何事もない「平穏な日常」を支える面白さ。
──現在、「数字のプロ」として経理業務で活躍しながら、税理士を目指していると聞きました。これまでのキャリアを知りたいです!
関西大学の商学部を卒業後、新卒で国内の大手運輸会社に就職し、5年ほど勤めました。その後、キャリアップとスキルアップを兼ねて、世界的に名の知られている外資の超大手生命保険会社の総合職に飛び込みました。入社は狭き門でしたので、ちょっとだけ自慢です(笑)。ところが、自分とは合わなかったので1年ほどで辞めて、自分の人生を見つめ直す期間を設けることにしました。その期間にお世話になったのが、先述の「アトムでのアルバイト」ですね。そこで「手に職をつけて、専門家になる」という考えに至りました。もともと商学部で簿記の勉強をしていたことと、数字が好きだったこともあり、税理士を目指すことを決意しましたね。
──現在の業務内容と仕事で大変に感じること、仕事のやりがいを教えてください。
会計ソフトを使い、経費の計算や仕訳作業、決算といった経理業務をしています。他にも総務的な役割もありますね。この辺りはだいたい一般の企業と同じです。プラスαの要素としては、税理士事務所にお願いする前の段階の税務を見たりもしていますね。大変なところは、グループ会社全体の数字を担っているので、各社の決算が重なってくると忙しくなるところでしょうか。「これが楽しい!」という派手なやりがいはないのですが、決算を無事に乗り越えたり、数字上でのイレギュラーな事案などが起こったりしないように、ディフェンスする仕事なので、急成長を遂げているグループを支える役割を担っていることに、誇りと幸せを感じますね。
──今も定期的に、修斗会長とお話をされているそうですね。
月に数回ほど、会長の運転手をしているのでそのときにお互いのことや、これからのことなどをずっと話しています。会話の内容的には、「これからポーカー事業をどうしていくか?」といったビジネスの話と、「コロナ後の社会の動向」など世間話が半々くらいです。高校時代と変わらず仲は良いですね。そういえば大学時代も、会長と副会長の馬刺くんが通っていた専門学校の場所が近かったので、よく3人で麻雀をしたりして遊んでいました。振り返ると、本当に長い付き合いになりますね。

アトムの躍進を「縁の下の力持ち」として支える、バックオフィスのミッション。
──職場の雰囲気や、一緒に働いている方の特徴を教えてください。
朝は明るく元気な挨拶から始まり、声を掛け合う社風です。全員が物腰柔らかで、高圧的な人はゼロ。みんなで飲みに行ったりすることも多く、家族もいる大人たちが10人くらい集まってワイワイと盛り上がっています。そのあたりを取り仕切り、ムードメーカーを引き受けてくれているのが、本部長の鏡月(カガミライト)さんですね。誕生日会などの段取りもしっかりと組み、きめ細やかな配慮でみんなが楽しめるようにメイキングしてくれます。そこで信頼が深まり、業務でのコミュニケーションもバッチリです。
──奥村さん自身が、「働きやすい環境づくり」のために努力されてることはありますか?
実は、掃除をめっちゃ頑張ってるんですよ。もともと綺麗好きということもあり、気になったところを率先して綺麗にするようにしています。誰も気づいていないっぽいんですけどね(笑)。「縁の下の力持ちだ」と、勝手に思って粛々とやっています。
──「アトムで働いて良かった!」と感じるときは、いつですか?
もともとが人見知りで、こちらから積極的に話すのは不得意なので、周りが声をかけてくれる環境はありがたいですね。向こうから「最近は、どう?」と気さくに話しかけてくれるので、こちらも気軽に対応できます。大きな声での挨拶も、とても気持ちが良く働きやすい環境が整っていますね。
──今後のビジョンを教えてください。
アトムグループとして、ホールディングス傘下の企業が増えているのですが、「どんぶり勘定」にならないように、税務の面で気を配ることですね。納税は国民の義務として当たり前なのですが、本来は経費や開発費などに充当するお金まで「どんぶり勘定」にしてしまうと、今後の成長戦略に使うべきだった貴重なお金が目減りしてしまうようなことにつながりかねません。バックオフィスを担っている以上、成長を続けるアトムグループで「どんぶり勘定」はこれからもないように目を光らせたいですね。個人の夢は、税理士の資格を取得することです。今、5科目中4つは合格しているので、あとひとつです。
いまやグループトップクラスの人気を誇る店舗にまで成長したATOM-UMEDA-で、プロデューサーを務める嵐要さん。
現在は、ATOM-UMEDA-からの分店によって誕生したATOM-CLEAR-でもプロデューサーとして活躍し、店舗運営における「縁の下の力持ち」として多忙な日々を送られています。
特色の異なる2店舗の運営に携わっている要さんですが、日々どのようなことを意識して仕事に取り組んでいるのでしょうか。
今回は「どんな従業員でも分け隔てなく、良好な関係性を構築できる」と評判の要さんに、教育面で重視しているポイントや両店で実施している施策などについてお話を伺いました。
管理体制を分業することで、効率的な教育を実施
―従業員への教育で意識していることを教えてください。
幹部層・中堅層・新人層の、それぞれに対して異なるアプローチで教育を行っていますが、共通していることは「勤怠管理」と「目標設定」が重要であるということですね。
この2つはどの従業員にも共通している事柄なので、常に意識して管理するようにしています。
新人層に関しては、まずはホストという仕事を楽しんでもらうことが重要なので、半年~1年くらいはあまり口出しせずに様子を見るようにしています。
基本的に、僕は新人教育に深く関わっているわけではないので、常に気にかけてあげて「何か困ったことはないか?」といった声掛けを行うことが中心ですね。
ただ、入店後1年以上経過しても役職に就けていない中堅層に対しては、「このままだと新人にどんどん追い抜かされてしまうぞ」と、危機感を持たせるような指導を行っています。
また、幹部全員がチームリーダーになっているので、新人教育に関してはチームリーダーに任せています。
だから、チームメンバーが何かトラブルを起こしたり、教育が足りていない部分が見つかったりすると、チームリーダーである幹部を指導するようにしているんです。
毎週金曜日に各チームで講習を行っているので、そこで細かく教育・指導が行われていますね。
あと、従業員には個別の目標シートを書いてもらっていて、目標達成率で評価する体制をとっています。
そうやって数値化することでプレイヤー自身も成長を実感できますし、教育側としても褒めやすくなりましたね。
―要さんは大箱と小箱の運営に携わっていますが、箱の大きさによって感じた教育・管理面での違いについて教えてください。
ATOM-CLEAR-は控室がないことから休憩できる場所がないので、みんな積極的に動いてくれるんです。
自然と従業員がフロアに集まることでコミュニケーションも活発に行われるため、ATOM-CLEAR-はすごく管理がしやすいという特徴がありますね。
一方で、ATOM-UMEDA-は広すぎて誰がどこにいるのかわからない状況になりがちです。
マイクを使った遠隔でのコミュニケーションが重要になるため、従業員の管理には苦労しました。
今は待機場所を限定するようにしたので、管理面や従業員同士のコミュニケーション不足は改善してきたと思います。
宝くじに当たったような感覚。環境の変化は自分の成長につながる大きなチャンスと捉える

―要さんは店舗移転や分店といった環境の変化を多く経験されていますが、新天地に異動する際に心掛けておくべきことはありますか?
正直、ATOM-UMEDA-に移籍する話をいただいた時には、どんなリスクがあるのかを最初に考えましたね。
特に集客について不安がありましたが、希咲久琉社長が多くのアイディアを出してくださったこともあって、多くのお客様にお越しいただくことができました。
あとは、自分が決断したからには「とにかくやるしかない」という気持ちの部分が強かったですね。
だからこそ、新天地に異動する際には自分でしっかり決断し、絶対に成功させるという覚悟を持つことが何よりも重要だと思います。
環境の変化ってネガティブに考えがちな方も多いと思うんですけど、僕は自分が成長する大きなきっかけになると捉えました。
移籍の話をもらった方は、宝くじに当たったくらいの感覚で捉えたほうがいいと思いますし、僕自身ATOM-UMEDA-に移籍したことで成長を実感できましたね。
―SNSに関して取り組んでいる施策があれば教えてください。
特に、TikTokには注力しています。
「月間で一定以上の本数を投稿した従業員にはボーナスを支給する」という施策も実験的に行いましたが、動画のクオリティを落とさずに投稿数を増やすという点に関して、みんな苦戦していますね。
あとは、SNSへの投稿を共有するグループLINEを作成しています。
そこでお互いにコメントやいいねをすることで、投稿を拡散できるような体制を構築していますね。
―プロデューサーという役職は社長と代表との間に立つ“中間管理職”のような立場だと思いますが、その立場から考える組織づくりの在り方について教えてください。
基本的には、代表取締役である嵐優季の方針を尊重するべきだと考えていて、その方針や施策をサポートするような立ち回りを意識しています。
ただ、改善が必要だと感じたことについてはしっかりと反対意見を出すようにしているので、頼れる相談役のような存在でいれたらと考えていますね。
―ATOM-UMEDA-とATOM-CLEAR-ではどのようなイベントを実施していますか?
イベントは毎週実施しているのですが、かなり思考を凝らしたイベントを企画していますね。
人数も多いので、おのずとバースデーや役職昇格イベントなどが多くなってくるのですが、季節に合ったイベントやお客様感謝デーに合わせたイベントなども行っています。
なかでも、特に好評だったのがATOM-UMEDA-で実施した「文化祭イベント」です。
従業員が制服を着て、ステージでは屋台も出したので大いに盛り上がりました。
あと、これは他店でも実施していると思いますが、営業中に表彰式を行っています。
営業中に表彰式を行うことで、お客様に向けて感謝の気持ちを伝えられる場を設けることができたので、実施して良かった施策だと思いました。
人事として多くの面接を担当。豊富な経験から見えてきた“売れるホスト”の共通点とは

―両店で実施している退店防止策について教えてください。
あまり無理に引き止めるようなことはせずに「いったん休んで、ゆっくり考え直してみたら?」と伝えるようにしていますね。
一度辞めたいと口に出したからには、ある程度の決意が固まっていると思いますし、モチベーションが下がっている子を無理に働かせたくもないので、考えるための時間を設けるようにしています。
ただ、「中途半端な状態でホストを辞めてしまったら、転職にも困ると思うよ」など、厳しい現実も同時に伝えるようにしています。
ホストは上がり下がりが激しい業界ではありますが、その度に気持ちがブレてしまうような子は、他の業界でも長続きしないんじゃないかなと思いますね。
―人事として多くのホストを面接してきたと思いますが、その経験からホストに向いている人材の特徴などがあれば教えてください。
ホストに向いている子は、とにかく「目がキラキラしている子」ですね。
そういう子は業務内容や接客スキルに関する質問がめちゃくちゃ多いですし、体験入店の時からとても意欲的です。
逆に、給与に関する質問ばかりしてくる子は、あまり伸びない傾向にあるかもしれません。
―要さんが考える「ホストとは」というテーマについて教えてください。
一言でいうと「会えるアイドル」じゃないですかね。
自分を安売りしていたら、ただの「良いお兄さん」で終わってしまいます。
お客様と適切な距離感を保ちつつ、SNSも駆使しながら自分の価値を高めることが重要です。
そういったブランディングができれば、自然とお客様に愛されるホストになれるんじゃないかなと思います。