グループ初期の古参内勤として大阪で活躍、その後、歌舞伎町にて「BAR -Piglet-」を7年間経営し、長きにわたり東京エリアの影の相談受けとして活躍してきたTOSHI。会長と幼馴染で、生粋の「ええやつ」として活動してきた軌跡を今回はインタビューしました!
TOSHIが店長を務める、新たに大阪・心斎橋にオープンした「BAR -Piglet- 心斎橋店」のお得なキャンペーン情報も記事の末尾に掲載。ぜひともチェックしてみてください。
大学時代から学生と兼業で水商売に全力を注いできたTOSHI
——アトムグループに入る前は何をしていましたか?
TOSHI:もともと、大阪ミナミで色々な仕事をしていました。現在でいうところのサパーのような業態のバーや、キャバクラのボーイ、ラウンジ、カフェなどで仕事をしていた時期もあります。なんだかんだ、27歳くらいまでそのような感じで働いていましたね。
——環修斗会長とは淡路島の同郷と聞いていますが、地元から出てきたのはどれくらいの歳ですか?
TOSHI:淡路から出てきたのは、高校卒業と同時なので、18歳の頃です。大阪の某大学に通いながら、様々な水商売の業態を経験してきた流れになります。
——大学は無事に卒業できたのでしょうか?
TOSHI:実は、4回生の頃に留年が決まりまして(笑)。大学時代はバンドでドラムをやっていたのですが、熱中しすぎて全然単位は取れていなかったです。それで、「バイトやらなあかん!」となり、水商売のアルバイトとしてサパーを始めて、ほぼレギュラーでやっていました。
——サパーのお仕事はかなりハードだったと聞いていますがどんな感じでしたか?
TOSHI:ショータイムがあるお店で、普通にシバかれていましたね(笑)。お酒も大量に飲まないといけなかったので、正味しんどかったです…。その後、1年間留年しながら単位を取り、無事に大学卒業はできました。
——暗黒時代だったサパーは長く続けていたのでしょうか?
TOSHI:サパーは結局卒業と同時くらいで潰れることになり、代わりにカフェが新しくオープンするという話を聞いたので、普通のカフェでオープニングスタッフとして仕事をすることになったんです。当時はラテアートとかもやってました(笑)。その仕事は27歳くらいまで、キャバクラのボーイやラウンジなどで夜職の内勤を掛け持ちしながら続けていましたね。そんな中で、やりたいことをやろうと思って、27歳で全ての仕事を一旦辞めました。
——カフェを辞めたきっかけは何だったのでしょうか?
TOSHI:一度、留学をしてみたいと思っていたんです。サーフィンもその当時やっていたので、1ヶ月間、オーストラリアに旅立ちました。そこで、カジノで勝ってしまいまして、1ヶ月の予定が2ヶ月に延長したんですよ(笑)。ただ、結局強運は続かずにすっからかんになり、帰国した時に「アトムグループで働かないか?」と声をかけてくれたのが、環修斗会長でした。
環修斗会長とは幼馴染、アトムグループ初期から内勤として貢献
——環修斗会長とは、どんな関係でしたか?
TOSHI:もともと、小中高と一緒で、地元の幼馴染です。実家もチャリで1分くらいの距離で、かなり近所だったので仲良くさせてもらっていました。大阪に出てきた後も友人として遊んでいて、僕がミナミで水商売の業態で働いていた頃、会長もアトムグループの一号店を創業していましたが、一緒に働く話はそれまでしたことがなく。声をかけてもらったことをきっかけに、アトムで働いてみよう、となりました。
——当時はアトムはまだ1店舗のみの営業だったのでしょうか?
TOSHI:そうですね!その当時のアトムは、エイトワンビルで1店舗経営でした。僕が声をかけてもらった時は、分店を検討している段階で、分店後にエイトワンビルの本店に内勤がとにかくいないので、本店の内勤として仕事をするのはどうか?と提案をもらいました。僕自身、ホストクラブでの勤務経験はなかったんですが、キャバクラやラウンジでのボーイ経験はあったので、快諾した流れです。そこから2年間、本店で内勤をしていましたね。
——内勤として2年間働き、最終的なポジションはどのような感じでしたか?
TOSHI:当時は内勤には役職制度が存在していなかったので、ずっと変わらず内勤として仕事をしていた感じです。そんな中で、東京の歌舞伎町にアトムグループが新店舗を出すことになり、そこの内勤として東京で働くのはどうか?と話があり、説得されて行くことになります。
——当時のATOM -TOKYO-の初期メンバーはどんなメンツだったのでしょうか?
TOSHI:アトムの創業から関わっていた帝が代表(現在は退職)、後のATOM -TOKYO-の社長になったひかる(現在はエリアマネージャー)、あと1名若いプレイヤーがいて、内勤兼プレイヤーとして僕という、4人の少数メンバーがオープニングスタッフでした。そこで、2年半ほど内勤兼プレイヤーを続けましたね。
——プレイヤーとしての結果はどうでしたか?
TOSHI:内勤を兼ねて活動していたのもありましたが、鳴かず飛ばずでした(笑)。僕自身、ホスト経験がなかったのと、箱自体も今のATOM -TOKYO-と比べてかなり小箱で、ホストクラブ激戦区の歌舞伎町では簡単に売上を上げることはできなかったですね。
ATOM -TOKYO-のプレイヤー兼内勤から「BAR -Piglet-」を開業
——そこから歌舞伎町でアフターバーとして「BAR -Piglet-」を開業するまでの流れを教えてください。
TOSHI:その頃、売上も全然立たなくて悩んでいて、このままでは厳しいので大阪に帰ろうかなと思っていたところ、会長から「アフターバーを出すから、そこで働いてみないか?」と提案を受けて、「BAR -Piglet-」に立ち上げから関わることになりました。当時32歳の時の話ですね。
——そこから、歌舞伎町の「BAR -Piglet-」は何年くらい続いたのでしょうか?
TOSHI:そこから歌舞伎町の「BAR -Piglet-」の歴史は、合計で7年間ほど続くことになります。期間中は、ATOM -TOKYO-のアフターバーとしてだけでなく、一般のお客様も常連としてたくさんの方にご愛顧いただいて、良いお店作りができたと思っています。
——歌舞伎町の「BAR -Piglet-」はどんなお店でしたか?
TOSHI:歌舞伎町のバーって、土地柄、いわゆるボッタクリのようなお店も多いんですよ。その点、「BAR -Piglet-」は価格帯もひとり当たり1万円以下と、かなり良心的な設定にしていて、延長営業もしないし、顧客トラブルなどもなく、お店の風紀を一番大事に考え、無理にお客様に飲ませないスタイルを徹底していました。個性的な従業員が男女共に集まっていたこともあり、従業員にファンがついて、しっかりと集客もできていて、長年来てくださっていたお客様には心から感謝しています。
——今回、歌舞伎町の「BAR -Piglet-」が閉店後、新たに大阪・心斎橋に「BAR -Piglet- 心斎橋店」がオープンすることになりましたが、どんな経緯でしたか?
TOSHI:歌舞伎町の「BAR -Piglet-」の営業許可証の有効期限が切れるのが、ちょうど7年目だったんです。それで、環修斗会長から、大阪に店舗が増えて、アフターバーとしての需要が大阪で高まっているとのことで、僕自身も、東京生活10年目の一区切りとして、歌舞伎町から大阪・心斎橋を主戦場に戻そうと決意した流れになります。
大阪に「BAR -Piglet- 心斎橋店」が凱旋オープン!キャンペーンも実施
——大阪・心斎橋にオープンした「BAR -Piglet- 心斎橋店」はどんなお店ですか?
TOSHI:歌舞伎町の「BAR -Piglet-」時代からの、安心・安全なアフターバーとしての業態は変わらず、お店の広さ自体はとても広くなり、内装も新しく入れていただいて、かなり綺麗でスタイリッシュなバーとしてご利用いただける環境が整っていると思います。今後は需要が多いシーシャも導入する予定でして、アトムグループの大阪エリアの皆様はもちろん、一般のお客様にも広く利用していただきたいですね!営業時間も、7月現在だと0時〜のオープンになっていますが、体制が整い次第、21時前後からご利用いただけるようにしたいと考えています。
——アトムグループのアフターバーとして、何か施策は行う予定ですか?
TOSHI:8月中旬頃から試験的に、アトムグループの大阪エリアの店舗から、ゲスト出勤枠を設けて、プレイヤーや、内勤の方々にバーテンとして立ってもらうシステムを実施予定です。レクリエーションの会場としてもいつでも開放できるので、アトムグループの皆様にはぜひ幅広く活用してもらいたいと思っています。
——最後に、「この記事を読んだ方限定」のキャンペーンを実施する予定とのことで、告知をお願いします。
TOSHI:この記事を読んでくださった方限定で、「チャージ1000円無料・TAX15%カット・ウェルカムショットサービス」のキャンペーンを実施します!こちらの記事のURLを見せてくれたら適応するので、アトムグループの方々も、一般のお客様も、ぜひご利用ください♪
※キャンペーン期間は9月末までとなります