アトムグループを統率する修斗会長の懐刀として活躍する狭井八矢日(さい はやひ)さん。波乱万丈な人生の中で培われたSEOライティングやマーケティング、クリエイティブ、ITの知見を活かし、グループ全体を支える戦略家の狭井さんに、これまでのキャリアやアトムでのミッションなどを聞きました。
厳しい環境で、最新のIT技術(SEO:検索エンジン最適化)を習得した20代。下積みで培われた豊富な知見。
──ITの知識などは、どこで学ばれたのでしょうか?
立命館大学に進学したのですが、学生時代は雀荘でアルバイトをしながら入り浸りつつ、バンドのギタリストをしていました。結果、大学には7年通うことになり、親に迷惑をかけてしまいましたね。就職活動をスタートした時期が、ちょうどリーマンショック後の就職氷河期で、数十社を受けたものの、厳しい結果に。そんなとき、友人からWebマーケティング支援事業などで、国内有数の実績を持つ企業の会長を紹介してもらい、拾ってもらったのがITと関わるきっかけですね。その会長が今まで出会った中で一番怖い人ですが(笑)、とてもお世話になった方でもあり、感謝しています。
──そこから、Webに関するノウハウなどを身につけられたんですね。
最初は、Excelの「エ」の字もわからない状態で、SEO業務(※検索エンジンにてサイトの検索順位を上昇させるための施策)にたずさわりました。その会社が強烈で、マッキンゼーの「ロジカルシンキング」の本から学び、「ロジカルに話せるようになるまで、お前はしゃべるな」と上司に言われたくらいの企業文化でした(笑)。その環境下で、SEOライティングといったITのスキルやテクニック、ノウハウを身につけるとともに、ビジネスマンとしての心得などを叩き込まれ、鍛えられましたね。その後、大手占いサイトの会社に転職。複数のサイトを束ねながら、部下の育成にも注力しました。実務としてはディレクションとともに、自分でも記事を書いていました。
──その後、転職をされてフリーランスに?
次の会社は、一般職として入社したのですが、色々な経歴を持っているところに興味を持ってくれたようで、営業事務の仕事から新規事業の立ち上げメンバーに抜擢され、担当させてもらいました。それがWeb面接などを手掛けるサービスで、今では大手企業など2700社で導入されているようですね。その後、体調を崩して退社するのですが、知人から記事制作を依頼してもらったこともあり、独立してフリーランスになりました。それまでのキャリアを振り返ると波乱万丈で面白く、鍛錬を積むことができた反面、環境としてはストレスフルなことも多かったですね。そんなときに打ち込んでいたのが、小説の創作。当時は作家志望だったこともあり、自分を振り返ったり、癒したりするためにも純文学を書いていましたね。もともと村上春樹や太宰治などが好きで、特に三島由紀夫の作品には影響を受けました。フリーランスでの仕事はSEOライターで、最初の頃はアルバイト程度の収入でしたが徐々に増加し、最終的には月10万文字ほどのライティングで収入も4倍以上になりました。
修斗会長との出会い。そして、アトムグループのWEB戦略を担うように。
──どのような経緯で、修斗会長と面識を持ったのでしょうか?
出会いは友達の紹介で、東京の雀荘です。そこから、一緒に飲みにいくなどの交流が始まる中で、「一緒に何かしないか?」と誘われていました。実は最初、「ビジネスが絡むと人間関係が複雑になる可能性がある。友達のまま良好な関係を育みたい」と考え、言葉をにごしていたことを覚えています。そんなある日、会長が「俺は自分が友人のように信頼でき、かつ成果を出してくれる仲間と仕事をしたいと思っている。ぜひ、一緒に働いて欲しい」とまっすぐな目で誘ってくれました。そこまで言われると、気持ちに応えたくなりますよね。それが2018年位で、当初一緒に手掛けたのが、インフルエンサーと共同経営する「レディゴー」という歌舞伎町のBARと、「オンザロード」というインフルエンサー事務所でした。それとともに、自分自身の影響力を高めるために、メディアプラットフォームのnoteで記事を書いたり、有名人に突撃取材をしたりと色々手掛けていましたね。
──それがコロナ禍に巻き込まれ、アトムから離れた期間があったんですね。
コロナ禍で、店舗営業が難しくなったためインフルエンサー事業やメディア制作などに予算を充てることを見直す動きになりました。そのため、一旦アトムから離れて、もともと大好きだった神社仏閣巡りなどをしていましたね。その後、2020年末に会長と新宿で再会。そこで打ち解けた会話が盛り上がり、また一緒に働きたいと伝えると、「大阪の本部に来て欲しい」と請われ、翌月大阪に引っ越してきました。今は、アトムグループ全体に関わり、メインのホスト事業のWEB戦略及びサポートや、シーシャのカフェ&BAR「PukuPuku」のマーケティングやシステム部門の役員、IT企業の株式会社PROSPADEのCSO、新規ビジネスであるポーカー事業のWEB担当などを兼務しています。
──幅広い業務を担当されていますね!
全体的に共通しているのはWebサイトのSEOや全体のディレクション、運営や運用、ベンダーとのやりとりになります。今、力を入れているのはSNSやYouTubeの展開で、チームで動いています。この辺りは「レディゴー」で知見を得ることができました。今、『ひろむん代表』がバズっています。分析すると、「発信者がいかに主体的に伝えられるか?」が肝になっていると思うので、何かしらのパイオニアになることが、成功につながると思います。SNS活動を、諦めずにバズるまで続ける胆力のある店舗やプレイヤーを、グループから更に輩出したいですね。
あとは、会長から相談を受けてフォローアップする秘書的な業務も行なっています。経営者は質問を嫌うので、「こんなことをしたい」という考えに対して、すぐに「どのプランにしますか?」と、複数案を用意して提案することを心がけています。ちなみに、仕事術としては、電話は使わずに、大切なことを全部LINEのテキスト履歴で残す「テキストコミュニケーション」を徹底していますね。履歴やエビデンスがないと、言った言わないのやりとりになってしまうので、テキストによるコミュニケーションはとても大事だと思っています。
会長の「先見の明」を形に仕上げる。さらに、ホストのセカンドキャリアの受け皿拡大へ。
──俯瞰的な目線ならではの、「アトムの魅力」を教えてください。
人間性が高く、組織全体が「“ええやつ”であること」に集約されますね。トップである会長自身、魅力的で義理堅いです。個人的に凄いなと思ったのは、巨額のお金が動く業界でありながら、お金に振り回されないところ。過去、お金を持った瞬間に豹変するような人たちを見てきたので、利他の精神を貫く会長の姿や、組織のあり方に感銘を受けました。
──会長の凄さはなんでしょうか?
「先見の明」に尽きますね。「PukuPuku」は、少数の大手のみが展開していた初期にシーシャ業界に参入。現在、たった2年足らずで北海道から九州まで全国に12店舗をオープンしています。アクセス解析をすると、大手の競合他社より当店の方が閲覧数が多いですね。今、仕掛けているのがZ世代を中心に空前のブームになっているポーカー事業。これも、会長が早い段階で目をつけていました。インフルエンサーのBARは、今思えば時代を先取りし過ぎており、ようやく社会が追いついてきたように感じます。今後は、デジタルインフルエンサー事業なども案としてはありますが、アトムのベースはあくまでも「人に価値を提供するサービス事業と店舗経営」です。
──今後、アトムグループで挑戦したいことや、ご自身の夢などを教えてください。
直近で言うとアトムの知名度を上げ、内部の魅力をお客様や求職者に伝えることです。そのため動画制作などに注力しています。現在は外部のリソースに頼っていますが、ゆくゆくはノウハウを蓄えて内製化し、事業部にしてビジネス化したいですね。長期的には、昼事業の拡大。「PukuPuku」はひとつの成功事例ですが、ホスト事業の規模と比較するとまだまだこれからです。ホストという仕事はアイドルと同じで、どうしても“卒業”がつきもの。セカンドキャリアを応援するためにも、受け皿となる事業を作り上げ、成長させることが必要です。個人の夢は、日本独特の良さを若者たちが心に抱き、世界に発信するような社会にすること。現在、日本には閉塞感が漂っていますが、我が国には独自の良い文化がたくさんあります。日本の魅力を若い人たちに伝え、彼らがさらに世界に拡散していくような社会にしたいですね。