アトムグループは大阪ミナミ・大阪梅田を中心に、東京歌舞伎町・札幌すすきの・名古屋にも店舗を構える全国展開ホストグループです。これまで、月間売上1000万円を超えるトッププレイヤーといえば大阪・東京から出るのが当たり前となっていましたが、ATOM -SAPPORO-「ゆとり」の登場によって、遂に、大阪・東京の牙城が崩れました!グループトップランカーが全国から一同に会する「アトムファンタジスタ」を制した北国の刺客「ゆとり」とは、一体何者なのか?今回は独占インタビューです!
東京六本木から札幌すすきのに拠点を移し、ホストとしての新たな人生を始めた「ゆとり」。
Q:アトムグループを選んだきっかけは?
ゆとり:アトムグループは関西の大手グループということを知っていて、僕はホストになる前は東京にいたのですが、大阪人の方のスタイルとか人間性に惹かれるものがあって、大阪という街に憧れる気持ちもあったんです。それで、アトムグループを選びました。
Q:アトムグループに入る前、前職では何をしていましたか?
ゆとり:六本木で3年ほど、バーをやっていました。今28歳なので、地元静岡から東京に出て、25歳くらいから始めましたね。業態としては、アフターバーのようなところです。25歳よりも以前は、地元静岡でもバーを経営していました。
Q:東京六本木から一転して、札幌に行ってみようと思った理由は?
ゆとり:静岡から東京に活躍の場所を移して、ある程度の水商売経験を積んで自信もついたので、自分のことを誰も知らない場所で、自分の実力を1から試してみたい気持ちになったことがきっかけですね。南に行くか、北に行くか、と考えました。南なら沖縄、北なら北海道。それで、水商売が栄えている印象がある北海道の札幌・すすきのを、新たに挑戦する場所として選びました。
ATOM -SAPPORO-に入店して早々に試練が…!トラブルも受け入れてくれた代表・店長に感謝。
Q:どんな経緯でATOM -SAPPORO-に入りましたか?
ゆとり:ATOM -SAPPORO-に入ったきっかけは、静岡でバーを経営していた当時の仲間からの紹介でした。札幌に行きたての頃に、当時の仲間が札幌まで遊びにきていて「ホストクラブで働いてみようと思うのだけど、どこかおすすめあるかな?」と聞いたところ、いくつか提案をもらったのですが「すすきのにあるホストクラブなら、大阪で大手のアトムグループが良いんじゃない?」という言葉が刺さり、入ってみようと思いました。また「2年後くらいに、すすきのにもホストバブルが来るんじゃないかな」といった話もあり、意気込んで応募した感じですね。
Q:東京を中心に全国展開している他グループに興味を持つことはありませんでしたか?
ゆとり:東京のグループって、良くも悪くも成熟しすぎているイメージがあるんです。それこそ、1000万円プレイヤーとか2000万円プレイヤーとか、全国にすごく沢山いる印象があって。そういった環境に入ると、自分自身、埋もれてしまう可能性もあると考えました。その点、大阪を拠点として札幌に進出してきているアトムグループが運営するATOM -SAPPORO-であれば、まだまだ可能性に満ち溢れているんじゃないかな、と。未経験の僕でも上位を狙いやすい、目立ちやすい環境の可能性に賭けました。
Q:しかし、ATOM -SAPPORO-に入店した当時、トラブルがあったと伺いました。
ゆとり:そうなんです…。トラブル自体は入店前のことだったのですが、東京で警察沙汰のトラブルに巻き込まれてしまったことが過去にあり、それがきっかけで、入店後2ヶ月あたりで20日ほど留置されてしまう出来事がありました。僕自身としては、正直入りたてで結果もまだ全然出せていない身分だったこともあって、きっとこのままクビになるだろうな…と思っていたんです。でも、そんな僕を救ってくれたのが、あゅむ代表と店長でした。
Q:あゅむ代表と店長が、トラブル後も優しく受け入れてくれたのですね。
ゆとり:あゅむ代表も、店長も、すごく自分のことを信じてくれている温かさを感じました。僕自身は、先ほどもお話した通り、トラブルで迷惑をかけてしまったことで諦めかけてしまっていたのですが、「戻っておいでよ!」と背中を押してくださり、この恩義には絶対に応えないといけないと思いましたね。
下積みから、一気にトッププレイヤーに!秘訣は、休まず、誰よりも早く出勤・掃除。
Q:ホストとしてのキャリアの初期はどのような感じで進んでいきましたか?
ゆとり:最初の頃は、札幌の1月〜2月の閑散期に被ってしまったこともあり、雪がすごくて初回もほとんどなく、とても苦戦しました。その間は見習い期間だと考えて、ホストの勉強を行いつつ、1000万円プレイヤーになることを目指して努力を続けていた感じです。
Q:代表と店長の恩義に応えるために、かなり真面目に取り組まれたと聞いています。
ゆとり:そうですね。最初にトラブルを起こして、信頼度はマイナスからのスタートでしたから、それを取り戻すためにも、毎日誰よりも早く始業の30分前には出勤して掃除をして、1000万円を売れるホスト力がつくまで、休まずに我慢と努力を継続しました。
Q:1000万円プレイヤーになるまで、どれくらいの期間を要しましたか?
ゆとり:だいたい、3ヶ月〜4ヶ月くらいですね。段階としては、下積み時期を乗り越えてNo.2になった翌月にNo.1を取り、そこからNo.2、No.1を繰り返しているような感じです。アベレージの月間売上としては、400万円前後を維持しつつ、「アトムファンタジスタ」に出場した8月に1600万円を達成しました。
札幌・新人で「アトムファンタジスタ」No.1!1600万円プレイヤーとなった勝因とは?
Q:アトムグループ本拠地の大阪で開催されたトップランカーイベント「アトムファンタジスタ」に、単身、札幌からエントリーすることに不安はありませんでしたか?
ゆとり:僕は求められたことに応えるのが好きなタイプなので、あゅむ代表から「アトムファンタジスタって売上バトルが大阪で開催されるんだけど、出てみる?」と聞かれて、結構気軽に「はい、出ます!」と答えました。
Q:「アトムファンタジスタ」では大きな結果を残しましたが、最初から自信はあった感じでしょうか?
ゆとり:当初は、500〜700万円の売上を上げられたら良いなと考えて参加しました。マックス1000万円は狙いたいと考えていましたが、現実的に考えて700万円前後の売上くらいに着地するかな、と思っていましたね。結果は、予想以上に盛り上がり、姫様も強く背中を押してくれて、「アトムファンタジスタ」でNo.1を獲らせていただきました。
Q:そこまでの成果を出せた勝因があれば教えてください。
ゆとり:いやあ…ぶっちゃけ、当日のことは詳しく覚えていないんです(笑)。本当にたくさん良いお酒を飲ませていただいて、かなり酔っていましたね。もしも何か勝因があるとすれば、あの日は1日中ものすごく楽しくて、その楽しさが、姫様にもしっかりと伝わって、大きな結果に繋がったのかもしれないと思っています。
Q:「アトムファンタジスタ」では、初の大阪店舗での合同イベントに参戦して、どんな感想でしたか?
ゆとり:やっぱり、「アトムファンタジスタ」の会場になっていたATOM -ROYAL-のお店の大きさや店内演出の凄さに圧倒されました。僕はATOM -SAPPORO-の店舗しか知らないので、「めっちゃイケてるじゃん!」とかなりテンション上がりました!
Q:「アトムファンタジスタ」に出場していた大阪のプレイヤーと初めて同じ空間で過ごして、どんな印象でしたか?
ゆとり:みんな、めっちゃイケメンだなと思いました!僕はまだホストを始めて1年以内なので、理想のホスト像みたいなものってあまり定まっていないのですが、大阪のプレイヤーの皆さんは、トッププレイヤーに相応しい、素晴らしいルックスや雰囲気を兼ね備えていると感じましたね。
Q:「アトムファンタジスタ」に出場していた大阪のプレイヤーで、気になった方はいましたか?
ゆとり:「アトムファンタジスタ」でNo.2となったATOM -ROYAL-の星七(せな)くんとは、とても仲良くさせてもらいました。イベントの最後には、星七くんの卓にもつかせてもらって、年末のACB(アトムクライマックスバトル)についても「一緒に頑張ろう!」と話しました。人間性も素敵ですし、顔も綺麗なので、僕が恥ずかしくなっちゃいましたね。
これからのATOM -SAPPORO-を盛り上げる!家族のように大事にする店に対する想いや目標とは?
Q:ATOM -SAPPORO-に対する想いや、これからの目標はありますか?
ゆとり:自分が大阪・東京以外で初めて1000万円プレイヤーになれたこともあり、今後はATOM -SAPPORO-で第2、第3の1000万円プレイヤーが誕生するように、ホスト力のノウハウの共有を行い、お店の仲間達と協力していきたいと考えています。個人的な目標としては、30歳までには3000万円プレイヤーを狙いたいですね!これまで、幹部役職はまだ器じゃないと考え、役職にあぐらをかかない自分の独自のスタイルを確立していきたい想いもあってお断りしていたのですが、これからは未来のATOM -SAPPORO-を盛り上げるためにも、副主任昇格も視野に入れて頑張っていきたいと思っています。
Q:大きな結果を残せた今、きっかけをくれた、あゅむ代表や店長への想いはいかがでしょう?
ゆとり:僕の中では、あゅむ代表はお父さん、店長はお母さん、といった感じです。もう、本当に、親って感じですね(笑)。そして、とても仲良くさせてもらっている主任の龍夜さんはお兄ちゃんのような存在です。自分がリスペクトする両親・家族のようなATOM -SAPPORO-の皆さんに孝行できるように、ATOM -SAPPORO-の看板をもっと大きくできるように、これからも結果にこだわって頑張っていこうと思います。